続・加藤の乱

ううう

最近読んだ本『アンソロジー カレーライス!!大盛り』杉山淳子・編

『アンソロジー カレーライス!!大盛り』杉山淳子・編

カレーライスに関するエッセイを44編収録した作品。

 

 カレーライスは非常に庶民的で家庭で作られることが多く、かつ各家庭が調理法についてそれぞれ意見を持っていますよね、「うちでは隠し味に生クリームを入れるんだよ」ということを「我が家の秘伝」として温めておいて、うれしそうに話すところなどがカレーライスの持つ魅力であると思います。カレーライスについてのエッセイは単なるグルメという範囲にとどまらず、背後にそれぞれの生活が浮き彫りになり、グルメエッセイにさらなる広がりを持たせるのです。

 このエッセイは書かれた時代がかなり古いので、昭和のカレー事情を知ることができます。例えば、現代ではまずありませんが、昔は「カレーライス」のことを「ライスカレー」と呼ぶ人が多かったらしく、本作品でも「カレーライスかライスカレーか」という現代人では馴染みの無い内容のエッセイも収録されています。更に当時はカレーの元を「カレールウ」として販売するのは一般的ではなく、「カレー粉」に「メリケン粉」を混ぜてとろみを出すというのが一般的だったようで、家庭によっては「メリケン粉」が変えなくて「うどん粉」だったりとか、欧米嫌いの母が「メリケン粉」を入れてくれなくてサラサラになったりしたようです。

 ちなみに「メリケン粉」というのは「小麦粉」らしいのですが、当時の呼び方は「メリケン粉」で統一されていたらしく、「小麦粉」というワードはあまり出てきません。とにかく、現代のように洗練された「カレールウ」というのは存在せず、素っ気無いカレー粉をおいしくするために、各家庭でさまざまな努力がされたことはたしかなようです。カレーライスは現代よりも各家庭で差があり、個性的だったのかもしれませんね。

 資本主義は恒久的な闘争状態にあり、各企業を絶え間ない競争へと駆り立て、食品の質を向上させた、レトルトのカレーでさえその例外ではない。どんなつまらない動植物だって、絶滅するのには何千年の時間がかかる、ところが資本主義は、数年で地球から製品を抹消してしまう、資本主義が抹消したのは製品だけにとどまらず、それに付随する人の生活の多様性までも抹消している。ヘーゲルに言わせれば、近代が達成したのは、「主体性原理が、個人的特殊性の自己満足的極端において充足に達する」ことを許したことである。この原理ー資本主義ーは、自立した個々人がその私的欲求を満たすために自由市場経済の制度を通じて互いに関係しあえるような市民社会を可能にしたのである。企業は競争相手を蹴落とし、市民の個人的特殊性を満たす企業が独占する、しかし個人はすなわち労働者であり、市場経済の独占は雇用の喪失と労働者の阻害を招く。資本主義は生活を豊かにした、資本主義の判断基準は「それは有用か」という非常にシンプルなものであるからだ。だが、われわれの幸福度は本当に上昇したのだろうか?第五インターナショナル発足はそう遠くはないはずだ、民主主義は結局のところ衆愚政治であり多数決なのだから、暴力的な手段を持って政府転覆を図る以外に方法はない、今本当に望まれているのは自民党を市民が監視することでも政権交代でもない、革命である。カールマルクスの予言は、一度は嘲笑を持って迎えられたが、今日では真実味を持って迫ってきている。共産主義という亡霊が、革命を背後にチラつかせながら、いまかいまかと資本主義の転覆を図り待ち構えていることは、世界情勢を見れば明らかである。

 

 あと、我が家のカレーライスの隠し味に生クリームととんかつソースとケチャップとしょうゆを入れます。具はたまねぎ、じゃがいも、にんじん、鶏肉、なす、かぼちゃが入っていて、なすとカボチャは必ず先に揚げておいて、カレーがしっかり煮詰まった後に入れる。我が家のカレーはかなりうまいほうだと思う、母親は来客には絶対カレーを食べさせたがるので、僕の家に来たら食べることができます。