続・加藤の乱

メンヘラ格闘家

福光利一「機械」

主人公の「私」は感情や肉体的な痛みを一切表現しない、「私」は淡々と工場での人物が、労働やそこで起こった事件を通して連動して変化していく様を心理的に描写される。これは、作者が感情的なものを排除して、意図的に表現しないことで、人間の自意識を機械的に見つめる始点を生み出したものだと思う。文章を途切れなく進めさせる特徴的な文体も、意図的に人間らしさや確固たる人格というものを排除するための実験のひとつだろう。

 

ひょんなことから工場へ勤める「私」、病的な主人、暴力をふるわれる「私」、殺人 殺人の犯人を回想する思考が酩酊してゆく。この小説によって示される一つの考えは、人間社会は人間同士や環境によって絶えず移り変わるものであり、その価値観や力関係も絶えず変化していくというものであると思う。

 

突然入ってきた人間によって人間関係の比重は崩れ、力関係は変化する、自分の意識や思想でさえ、薬品に毒素や、時間によって変化する、といった意味があるはずだ。福光利一の短編「機械」特徴のひとつに、主人公が過去から自分自身を記述するという点があるが、その点も、現在から過去を記述し、その回想の中で、さらに「私」の思考に相互に影響を与えてゆき、殺人の犯人はわたしではなかったのかと不安定なものにさせる、その一連の描写にも「人間はあらゆる環境や条件において、絶えず不安定に変化sるもである」という自然主義の否定が示されている。

 

確固たる人格が、悪徳や失敗を道徳的な努力や精神安定によって克服しうるといった自然主義的なものへのひとつのアンチテーゼであるといえるだろう。