続・加藤の乱

メンヘラ格闘家

ミッションちゃんの大冒険 感想 (二部)

独房にいる主人公は理不尽な状況に対し、また死を選択します、しかし独房の中、外から聞こえてくる秋の虫の音色に感傷的になり泣き崩れます、なき続ける主人公に対し、看守は「生きる気になったか?」と聞き、主人公は「今なら死ねるかも」と返答します

f:id:ibanez123123:20171231201556j:plain

 

この一連の描写にある、虫の音色が感傷的な心を呼び覚まし苦痛や孤独を増幅させるというシーンは、ただ単に感傷的な描写として書かれてるのではなく「厭世的な気分の中にある一抹の美しい記憶」を意味してるのかもしれません。つまり単純に寂しさが増幅されるのではなく、「世界の美しさに触れる機会があった、そして過去にそれを楽しめていた時期もあった」そういう体験を暗示することで、世界の美しさや楽しい記憶から取り残され、今では厭世的になり人生を呪うことしかできなくなった自分を感傷的に描写している、取り残された孤独感を描いている、というのがじっさいに示したかったことかもしれません。

f:id:ibanez123123:20171231202629j:plain

食べ物を見せて否定的な価値観を明示し、労働に駆り出すといった一連の描写非常に直接的でわかりやすいです、これは単純に、社会が、社会自身のためなら人間から幸福を取り上げて自分のいいように使う、もしくは自分は苦労ばかりするが社会に参加することは何も自分には与えてくれないといった気持ちを描写しています。

f:id:ibanez123123:20171231202642j:plain

示された労働が草むしりで特になんの意味があるのかわからない行為であることも、社会に参加することの閉塞感や無意味感を描写しています、このシーンも、今後の展開からして「労働は無味乾燥で、人間が拠り所にしているこの社会や社会規範も、結局のところは作り物で空虚なものにすぎない」ということを示すための布石の一つとなっています。

f:id:ibanez123123:20171231202707j:plain

労働のさなか、こちらを脅かすような怪物が現れて、主人公を恐怖させる、そのことを看守の一人に報告するが、なんの気を使ってはくれないという描写も、これもやはり社会は常に自分に無関心だ、もしくは自分の苦痛や恐怖など誰も汲み取ってはくれない、必要とされるわけではない、といったことのメタファーでしょう。

f:id:ibanez123123:20171231203335j:plain

次に主人公が「私は死ぬのが怖くて生きている」「楽しみなんてどこにもありはしない」「苦しまぬために戦う必要がある」「人生は自由で楽しいはずなのに」と苦悩する姿が描写されます。これはさっきから続く一連のシーンをまとめあげる描写でもあります、つまり、本来なら楽しむべきはずの人生だが、社会参加や労働、自分自身のポリシーのせいで、苦痛を回避するためだけの人生になってしまっている、しかも、苦痛を回避するためにとる行為そのものに苦痛が伴っており、どう戦っても苦痛がついて来る、そして自分自身を不幸に駆り出す社会規範のなんて無意味で空虚なことか、そういった無力感と逃げ場の無さがここで明示されています。

f:id:ibanez123123:20171231203822j:plain

 主人公は新たな労働のために施設の外に出ることができますが、その屋外も、陰鬱な屋外と対比して晴れ晴れとしたものとは描かれていません、犬に餌をやる労働も、相変わらず陰鬱としていて無味乾燥なものです、これもやはり、苦痛の先にはまた苦痛があることを暗示しているはずです。

 

この漫画で示される施設や監獄は非常に抽象的なもので、単純に社会規範にとどまらず、自分の性格や周りを取り巻く環境、ポリシーなどにも置き換えることが可能でしょう。

 

そして主人公が労働する最中、好きなことを作って人生を楽しもうと決意します、さらに看守から報酬を提示されます、主人公は電話を選択し、そしてその電話から悪人と名乗る人間から電話がかかってくるところでこの漫画の2部は終了します。